2017年11月21日 (火)

眠る―それは新たなエネルギーを得ること

眠る、ただひたすらに眠る。深層意識が私を手助けしてくれます。眠くなったら、浅層意識を捨て去り、何もかも捨て去り、眠りの世界にはいります。眠ったら、どのような事柄がなされているのか全く分かりません。ただ身体を回復しているのは事実です。昨晩、この記事を一行だけ書いて、後は眠りました。少し体調が思わしくなくて、眠ることにしたのです。昨晩の八時半ころだったでしょうか。

一晩寝って現在はさっぱりしました。ですから体が優れない時、無理をして仕事や思い患いにかからない方が得策です。何もかも忘れて夢の世界へと旅立つのです。夢も眠りの世界で言えば、まだ浅瀬なのかもしれません。夢さえも離れてぐっすり眠るのです。(つづく)

2017年11月20日 (月)

私の脳の機能と構造(83)「大切なことは、記憶して、悪いことは執着しない」

 さて、パート3、脳の高次機能と活動(109ページ)に入ります。110ページの「記憶の種類と脳内ネットワーク」に入ります。記憶とは、新しいことを覚えて保持し、必要なときに引き出すことです。記憶にも多くの種類があり、幾つかの分類方法があります。その一つは、記憶の内容による分類です

例えば意識を伴い、覚えた知識や過去の体験などを言葉やイメージによって表現できる陳述記憶(宣言的記憶)とそうではない非宣言的記憶に分ける分類方法があります。陳述記憶には、意味記憶とエピソード記憶(出来事記憶)があります。意味記憶は言葉の意味や固有名詞などの一般的な知識で、エピソード記憶は個人的な経験や出来事です。

非陳述記憶には、自転車乗りやギター演奏など、意識を伴わない技術や癖などの手続き記憶があります。「意識をともなわない」とは、深層意識をともまうことであろうと思われます。つまり阿頼耶識がそうした記憶には、関与しているはずです。私たちは、目や耳や鼻などを通して膨大な情報を得ていますが特に意識しない限り、1秒程度で情報は消えていきます。これを感覚情報保存(感覚記憶)といいます。1秒程度で情報は消えていきますが、深層意識である阿頼耶識には、輪廻を越えて残ります。

それが今の我々に大きくも小さくも影響を与えているのは、疑うことができません。目で見た電話番号をすぐには覚えられます。少しすると忘れます。でも繰り返し同じ電話番号に接していると、やがて覚えます。このように15秒から30秒程度しか保持できない記憶を短期記憶といいます。短期記憶が何度も繰り返されることで長期的に記憶されることを、長期記憶といいます。記憶と関係が深いとされているのは、脳の部位で言えば「海馬(かいば)」です。体性感覚野に入ってくる感覚情報を海馬は、受取り、その情報を増幅させて、長期記憶とさせています。

「ぜんぶわかる脳の事典」坂井建雄、久光正、監修、成美堂出版、2010年

2017年11月19日 (日)

目には見えない身体と目に見える肉体は、協同で健康を回復させる

 昔から世に知られてきた白隠禅師の「内観の秘法」とは、どういうものでしょうか?白隠さんの記録を「夜船閑話(やせんかんな)」から見てみますと、とても激しい修行で、白隠禅師の若い時も、その後のお弟子さんたちも禅病(ぜんびょう)となったと書かれています。それは、修練が限度を超えて、過労と睡眠不足に陥り、栄養不足と心身の苦悩のために全身衰弱が甚だしく、心臓病、肺病、神経衰弱、中風などの難治の病になる者が多かったのです。

白隠禅師は、若いころの自分と同じ境遇を見て、憐み、参禅求道の人たちに調心調息法および観法、想像力、観念力構造法、精神集中、自己統一を教えて、生命力の増大、自然良能を活発に働かせ、養生、養心、健康および長寿の秘訣となる「内観の秘法」を教えられたのです。このように書かれています。「もし、この道にすすみ、懸命に一心に真理の道をもとめ悟道にこころざすものが、勉学身に過ぎ、頭脳が逆上し、心身疲労が甚だしく、内臓の調和が乱れて来たならば、鍼灸や医薬などでこの病をなおそうとおもっても、治るものではない。

たとえ、むかしの名医といわれる華佗(かだ)や扁倉(へんそう)でさえ治すことはできないのである。自分は諸君の難病をなおすことのできる『仙人還丹(かんたん)の秘訣』ともいうべき一種の観法、および調心調息法、精神的治療法を知っている。」と述べています。鍼灸やあん摩、医薬などが治せる病気は、多くあります。また術者のレベルによって治る病気も異なってきます。でも、先のような禅病から起こる病も治し難いのです。

脳の病の中風もそれらの病気の内に収められています。『内観の秘法』を行う時は、空っぽになって、人間世界の思い患いや工夫をすべて捨て、考えること、見ること、聞くこと、感ずること、一切の雑念を捨て、深く眠りこみ、その後で肉体の眼ととともに心の目を覚ますようでなければならない、と言っているのです。これを行う時には、深く眠りこみ、その後で、目を覚ますようでなければいけないといっているのです。

即ち、床に入り、眠りに入る前に、両脚を長く踏みそろえ、一身の元気を臍のまわりから気海丹田、腰、股や両脚から足の裏に下し充たして、次のように何回も繰り返し繰り返し内観するのであると書かれています。次のごとく行うということです。
(1)わがこの気海丹田腰脚足心、まさに是れわが本来の面目、面目なんの鼻腔(孔)かある。
(2)わがこの気海丹田、まさに是れわが本分の家郷、家郷なんの消息がある。
(3)わがこの気海丹田、まさに是れわが唯心の浄土、浄土なんの荘厳かある。
(4)わがこの気海丹田、まさに是れ己心の弥陀、弥陀なんの法をか説く。
このようになんどもなんども内かえし、繰り返し、想像し、観念し、想像力を集中するがよい。観念想像力構造の効果がつもつてあらわれて来たならば、一身の元気はいつしか、腰や脚部や足の裏に充ち満ちて下腹部の丹田はヒョウタンのように、かたくなってくるのである。
このように「内観の秘法」を一心に、真剣に、切に修する時は、二、三週間にして今までの苦悩、不快、神経衰弱、心臓病、肺病などあらゆる難治の症状が、底をはらったように全治するものである。もしも、これが偽りならば、この老僧の首を斬りとって持ちさるがよい」と白隠禅師は、いっているのです。

白隠さんは、何を言っているのでしょうか。ここに呼吸法のことはあまり述べられていません。白隠さんが述べているのは、気海丹田のような肉体ではない身体を十分に活用して元気を取り戻しなさい、と言っているのです。

(つづく)

2017年11月18日 (土)

「奇経八脈攷(こう)」を考える(61)「任脈・督脈と陰蹻脈・陽蹻脈には、天地を照らし出す日月のような感じがする」

 今日は、235ページの本文に戻ります。「(2)張潔古(元素)はこう言っている。督脈の督の字義は、都(人々の集中する大きいまち、多くのものを一つに集めて統率す)の意である。だから、督脈を「陽脈の都綱」(諸陽脈を一つに集めて統率する大たづな)となる脈であるというのである。任脈の任の字義は、妊(はらむ、子どもを腹の中に抱きかかえてふくれる。任は、荷物を抱きかかえる意)の意である。だから、任脈を「陰脈の妊養」(諸陰脈をだきかかえて担任するとともに、妊娠・出産・補乳の役割を中心になって担任する)を行う脈であるというのである。

王海蔵(好古)はこう言っている。陰蹻と陽蹻の両脈は、ともに足跟の内部から起始して上行し、内眼角の晴明穴において両脈の脈気は会合し、脳の内部に入って、相互に交流し合う。任脈と督脈の両脈は、ともに中極(下丹田)の下方の胞中から起始して上行し、鼻柱の下の水溝穴において両脈の脈気は相互に接続し合う。

滑伯仁は『十四経発揮』の「任脈」の章においてこう言っている。任脈と督脈の二脈は、同一のみなもと(胞中)から起始して、二つの経絡に分かれて循行する。一つ(任脈)は身体の前面を循行し、一つ(督脈)は身体の後面を循行している。人間の身体に任脈と督脈の二脈があるのは、ちょうど天地に十二支の子(し)と午(ご)があるようなものである。【人身の任督は、腹背によって弁別して命名しているのであり、天地の子午は、南北の方位を言うのである。(子の方位は北、午の方位は南、南面して立つと、腹は南に、背は北に当たる)。】

両脈は分けて別々に考えることもできれば、合わせて一つにして考えることもできる関係にある脈なのである。陰陽の入り混じることのない姿があらわれるであろう。合わせて一つにして考えるならば、陰陽がまだ分離していないカオスの状態となり、両脈の間の隔たりがなくなった姿があらわれるであろう。このように任脈と督脈の二脈は、「一にして二、二にして一」なる関係にあるのである。」

 任脈と督脈は、体幹の表と裏を、代表する経脈で、陰蹻脈と陽蹻脈は、内眼角の晴明穴で会合し、脳の中に入って、相互に交流します。

「気営八脈攷全釈」李時珍、編著、小林次郎、訳注、燎原書店、1991年(つづく)

2017年11月17日 (金)

心の治癒力を研究する(61)「力の源泉に近付いて、癒しを行う」

 ヒーラー(癒し人)が患者の浄化を行う方法を先週行いました。肉も骨も血液も流れる3次元の肉体を、見えない癒しのエネルギーで浄化するのです。癒しのエネルギーは、ある程度は、心で生み出されます。相手のこと、(患者)を思い、幸福を願い、癒しのエネルギーが発生するのを待ちます。手のひらが暖まり、癒しのエネルギーが発生します。

私たちは、肉体を持っているけれども、会話をしたり、ヒーリングをするのは、生きているからです。生命力がそうさせます。先週は癒しの光が手のひらから放射されて癒しが行われました。今週は癒しのマッサージの方法を行います、(209ページ)悪くなっている場所を、手のひらで、時計回りで、ゆっくり、柔らかくマッサージします。

力の源泉から癒しの光が流れ出してきます。それは、熱、至福感、喜びとして感じます。癒しの源泉とのつながりを忘れずにマッサージを行います。鍼や灸を行う時も癒しの光が力の源泉から手のひらや鍼や灸に流れ込みます。温かく健康な光が注がれます。癒し人(ヒーラー)は惜しみなく贈与したいという気持ちで、行います。癒しのパワーも増大します。

あらゆる病気のエネルギーは、浄化され、細胞は開花します。癒しのエネルギーが全身に一杯になりました。生まれて来る赤ちゃんのように手を握り、健康のエネルギーの中で日光浴するように休みます。この癒しの光をレーザー光線や甘露の流れとしてイメージしてもいいのです。トゥルクさんは、言います。最も大切なのは、癒しの源泉に対する信頼なのだといっています。そして癒しの源泉との物質的なつながりを持つようにします。

ここから211ページには、トゥルクさんが実際に行った癒しの業が載せられています。チベットでは、粘液の不調和による病というものが流行っていたそうです。この粘液の不調和というのがチベット医学での呼び方なのか確認できませんが、症状は、食物を飲みこんだり、消化できず、ゆっくり飢えながら死に近づいてゆく、というものでした。僧院の建物を再建するための建設作業を手伝っていた二人の女性が粘液の不調和になったようでした。

トゥルクさんは、ツァンパ(炒った大麦の粉)とバターを練った人形を作り、祈りの言葉とともに加持して二人の女性に捧げたようです。そのパンを食べることはできたようです。二人は何か月か後に治りました。加持したツァンパのかたまりを作るために、トゥルクさんは自分の前の空間にグル・リンポチェというチベットの聖人を観想しながら、麦の粉とバターをこねたそうです。

祈祷のマントラを繰り返しながら、自分の全存在を、心からの強い信仰に向かって開き、癒しの加持を与えて下さるように祈ったと書かれています。これは、チベット人のやり方です。我々日本人ならお天道様を力の源泉として頼り、般若心経や観音経や阿弥陀経を繰り返しながら…、クリスチャンなら天の神様に向かって祈り…要するに何でもいいのです。我が心が集中して力の源泉と感じられる存在に向き、そこから癒しの力や光がいただければいいのです。

それらは、存在しているのは間違いないのですから。

「心の治癒力―チベット仏教の叡智」トゥルク・トンドゥップ、著、永沢哲、訳、地湧社、2000年(つづく)

2017年11月16日 (木)

素問を読む(214)「食べ過ぎで、贅沢をしてきた人は、カロリーを少し減らして、歩け」

 現在は、356ページの最終行からです。「これも伏梁(ふくりょう)といいます。しかし前の伏梁とは異なりまして、風が原因でできたものです。風邪の邪気が大腸から溢れまして盲膜にくついたのであります。盲の原は、臍の下一寸半の気海ですから臍の回りが痛みます。治法を加えて急激に気を動揺させてはなりません。もしそのようなことをすると、小便が渋って出にくくなる病を引き起こします。

黄帝が言われます。先生は、たびたび、熱中、消中なる病にはごちそうを食べさせたり、芳香性の薬草や石薬を服用させたりしてはならぬといわれました。なるほど、このような病には、石薬は癲癇(てんかん)ようの病を誘発し、芳香性の薬草は患者の精神を狂わせるような副作用を伴うとも言われています。(漢方薬についての副作用が当時から知られていたらしいです。)

また、御馳走を制限しょうとしてもこれらの患者には位が高く富裕な患者が多いから、精神的に不安を抱き、かえって悪影響を及ぼしかねないのではないだろうか?それに薬草や石薬を禁ずると、それでは病を治しようがないように感じます。ご説明下されたい。岐伯が答えます。そもそも芳香性の薬物は、気が盛んであり、石薬の気は激しく、つまり、この二者の薬気は急激で緊強であります。

ですから心が緩やかで性質が和やかな人でないと、この二者は使用してはなりません。まして位が高く富裕のもの達には不向きではないでしょうか。黄帝が言われます。気の強い者たちがそれを服用できぬとはどうしてなのだろう?岐伯が答えます。熱中も消中も脾胃に熱を持っていて、飲食物を異状に摂取しまして、且つ痩せて行く病であります。(糖尿病の一形態にあるように思えます。)

身体内の熱気が激しく、また薬物の性質も急激で堅強ですから、体内で両者がぶつかり合うと恐らくは、脾胃を更に傷害するでしょう。脾胃は土性ですから、木を嫌います。故に脾胃に熱を持った患者がこれらの薬を服用しますと、相剋の害が甲(きのえ)・乙(きのと)の日に現れるでしょう。

「素問・新釈・小曽戸丈夫」たにぐち書店、平成18年

2017年11月15日 (水)

唯識入門講座で心を実践的に考える(28)「阿頼耶識は存在すると知ることが虚無主義に陥るのを防ぐ」

 今日は、108ページから行います。仏教には、釈尊のころより、唯心的傾向がありました。その流れを教理の中心に据え、ヨーガを実践して発見した阿頼耶識(あらやしき)という深層心を加えて、あらゆる存在は阿頼耶識が作り出したものであるという唯識の教理ができたのです。空思想というものが仏教史上に現れました。『般若経』などの所説です。自己もその構成要素も存在しないという学説です。その説では、ともすれば、虚無主義に陥る可能性がありました。

唯識思想は、それを防ぐために、部派仏教の中から、ヨーガの実践を重視した人々によって打ち立てられました。ところが般若の思想は、虚無の無ではないようです。般若の智慧(ちえ)を得て、究極の真理である真如(しんにょ)を悟ることが目的とされていたのです。ですから、インドの地まで唯識学の知識を求めて旅した玄奘三蔵も「般若心経」を唱えながら砂漠の地を進んだのです。

しかし、「般若心経」を読むとわかるように、あらゆる教えの概念を否定しているように感ずる表現は、すべてのものは、まったく存在しないという虚無主義に陥りやすいと考えられます。事実そのような傾向の人々は、一定数おられたようです。唯識瑜伽行派の人々は、そのような人を悪取空者(あくしゅくうしゃ)と呼びました。すなわち空思想を悪く間違えて理解する者という意味です。

このような傾向を防ぐために、少なくとも、識(心)だけは存在するという考えが唯識瑜伽行派の人々によって、打ち出されました。心を筏(いかだ)に例えると、こちらの岸から、対岸に渡るまでの助けとなります。何らかの方便がなくては、此岸(しがん)から彼岸(ひがん)に渡ることができません。迷いの此岸から悟りの彼岸まで「心」を媒介(ばいかい)に渡るのです。これは新た空思想でした。三性と三無性というのが阿頼耶識と並んで新たな空思想となったということです。

仏教では、古代からのインドの伝統によって輪廻(りんね)と無我(むが)という思想が取り入れられました。でも我というものがないのに輪廻がなぜあるのかという疑問が起きました。輪廻の主体は何かと言うことが問われました。部派仏教の中で考究がなされました。部派仏教の中のいくつかの派で、潜在的な輪廻の主体が考えられました。例えば、「有分識」、「細意識」、「非即非裏蘊我」、「窮生死蘊」などが各部派で考えられました。唯識派では、輪廻の主体は、「阿頼耶識」であるということに落ち着きました。

「唯識入門講座・本とDVDで考える本当の生き方」横山紘一、著、大法輪閣、2010年

2017年11月14日 (火)

私の部屋を仕事を生みだし、小銭を稼ぐ所とする

 私は、部屋の周囲を歩くことしかできません。少し無理をして歩いてしまうと、筋肉が固まり、一歩も歩くことができなくなります。筋肉に変性が起こり、まるで何十キロも走った後のようです。これを痙縮(けいしゅく)といいます。でも実際には、走ることなんてできません。2,3キロ歩いただけで、こうなるのです。原因は、脳の中である視床近辺の異変があります。

このような身体の状態でもお金はかかります。少しでも心と身体が動くなら仕事をしていきたいと願います。ただし、今生の生きる目的にかなった仕事をしていくのです。時間を今までのように無駄遣いできません。これからは、お年寄りが増え、生きて行くための資金が大変です。先の未来を見つめた政治家たちの仕事です。これに私は、口出しすることができません。

健康の回復のためには、幾らか自分の脳出血の経験から、何らかの提案をすることができるかもしれません。脳の中心の受傷では、複雑な後遺症が現れます。それを言葉で言い尽くすことなどできません。これを人間の治療で治すことなどできません。末梢神経の簡単な腰痛なら普通の治療でいいですが…。それで、脳の細胞たちに頼むのです。痙縮は、現在でも治すのは、難しいといわれています。私は、狂ったわけでは、ありません。今は、優れたCDもありますし、テープもいいでしょう。

この中に細胞たちへの願い事を吹き込むのです。我々庶民にできることは、この程度ですけれど、工夫をすれば効果が出てきます。壊死してしまった脳細胞に変わる脳細胞がそれまでの働きを引き継ぎ、新たに働き出すのです。そのためには、外の研究や薬を当てにするのではなく、自分の内なる細胞自身に動いてもらうのです。テープやCDで眠りながら聞けばいいのです。効果は、初めはないように感じるでしょう。やがて効果が出てきます。細胞の小さな神様が動いてくれているのです。

具体的なCDのつくり方は、よく熟考します。これも我が部屋で生み出す仕事のつくり方です。

2017年11月13日 (月)

私の脳の機能と構造(82)「脳神経は再生する!」

今日は、108ページの上から二段落目からです。ここで書かれていることは、新発見の事実らしいことです。脳のニューロンでも再生するといった新発見です。脳の神経幹細胞に脳神経を再生させる鍵があるらしいのです。脳の神経幹細胞は、脳の神経管に存在するようです。神経管内側の神経上皮細胞が分裂を繰り返し、ニューロンやグリア細胞を生みだし、脳の基本構造を作ります。

そして、乳児期には、脳の基本構造は、ほぼ完成し、ニューロンは新生されなくなります。ここで、脳疾患マヒ者には、嘆息する人が多かったわけです。一方で、グリア細胞はその新生は大人まで続くといわれています。グリア細胞は、ニューロン(神経)を栄養面などで支え、脳の空間を埋めている細胞です。大人になるまでグリア細胞があるのは、当然に思えます。

グリア細胞は、脳室面と脳表面に突起を伸ばし、細長い形状の放射状グリアを形成します。現在では、これが成体脳の神経幹細胞の起源ではないかと考えられています。グリア細胞の一種であるアストロサイトが神経幹細胞として、ニューロン再生の役割を担っている可能性があります。実際にマウスなどの動物実験では、側脳室周辺の脳室下帯(のうしつかたい)と、海馬歯状回でニューロンの新生が確認され、アストロサイトの関与が有力視されています。

私もこの記事を読みながら、興味しんしんであります。ただ科学で推し進めようとすると長い時間がかかりそうで、私らの死んだ後にその研究が実を結ぶかなんとも言いきれません。私は、「心の治癒力」で読んだ回復力の方法を早速家で試したい所存です。細胞たちに頼むのです。彼らは生きていて、智恵を持っています。私たちが自力で頼む必要は、ありません。細胞たちに任せます。その方が絶対成功するはずです。

「ぜんぶわかる脳の事典」坂井建雄、久光正、監修、成美堂出版、2011年

2017年11月12日 (日)

TT(タングテスト)を修練し、苦境を乗り切る

 TT(タングテスト)というのは、舌による筋力テストです。これを修練し、使いものになるようにします。その筋力テストの地盤や揺るぎのない大地は、私の中に有る内なる智慧です。またの名を力の源泉といいます。力の源泉は、私たちの内にあるパワーのもとです。病気で後遺症を負っても、経済が傾いても、いろいろ問題があっても先を進む力のもとです。チベット人の大学客員教授トゥルク・トンドゥップさんが書いた「心の治癒力に記載されています。

もともとトゥルクさんは、チベットで育ちました僧でした。そしてチベットは、長い歴史を持つ国でした。中国人民解放軍がそこを支配してトゥルクさんらは、山を越えてインドに逃げました。さらにアメリカ合衆国に移民してハーヴァード大学の教授となり、「心の治癒力」という本を書いたようです。チベット仏教の智恵が元になっていますが、世界の誰でも適応できる本です。

「力の源泉」というのは、神様でも仏様でもお天道様でもご先祖様でもどなたでも自分が信頼できれば、それが力の源泉となります。石や樹や仏像なども力の源泉になり得ます。力の源泉を信頼するとき、私たちの内にある力が湧いてきます。貧しくとも富が湧いてきます。どのようにするかは、考える必要はありません。感謝して受け取ればいいだけです。あまり多くのお金は、必要ありません。必要なお金が得られればいいのです。

TT(タングテスト)は、自己治療で使います。健康な時は、テスターとセンサーが同時に動くFT(フィンガーテスト)を行っておりました。右半身マヒとなって、それができなくなりました。これから行うのは左手のセンサーと舌のTTです。これによって自己治療をしていきます。TTは、口の中の舌の動きで、検査器ともなるものです。これの依って脳出血の右半身マヒ、特に痙縮に挑みます。(つづく)

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