2018年2月19日 (月)

私の脳のしくみと機能(96)

そんなに単純なことで、つまりセロトニンという神経伝達物質の代謝活性化が人間や動物の攻撃性を抑制し、暴行や殺人などの反社会的な行動を抑え和らげるのは、本当のようです。今日は、「思考・判断・意思決定のメカニズム」(128ページ)に進みます。人によって特異的に発達した高次の脳機能に前頭連合野が関係していることは、ほぼ、間違いないようです。そこでは、計画・推論・判断・意思決定などが行われています。

前頭連合野の研究は、これまで事故や病気でこの部位を損傷した患者さんで研究。されてきました。しかし近年PET(陽電子放射断層撮影)やfMRI(機能的MRI)などの検査で、脳内の血流変化を視覚的につかめるようになり、(つづく)

2018年2月18日 (日)

痙縮に手だてが思い浮かばないけれど、心が少し純粋になって来た

痙縮にいい方策は、思い浮かばないけれど、より心が素直で純粋になってきたようです。こんなことを言うと、アホ扱いにされるかも知れませんが、私にとっては、素直や純粋と言うことは、何よりも大切なことです。それというのも素直でない、純粋でない自分が今まではいたような気がするからです。(つづく)

2018年2月17日 (土)

「奇経八脈攷(こう)」を考える(74)「下髎穴や章門穴を帯脈に関わる腰痛に使ってみよう。」

 265ページの本文の帯脈為病の(1)秦越人<扁鵲>は『難経』においてこう言っている。の文章を読みました。今週は、その参照部分を行います。268ページです。「①『明堂』の書名は、数々あるようです。そしてそれは、経穴書であるようです。『黄帝明堂経』、『明堂孔穴鍼灸治要』などと呼ばれ、『明堂』と簡称されたようです。それらは、秦漢時代の所で今では失われたようです。その内容は、『甲乙経』に分類整理されてのっているようです。

②けいしょうー漢字が私のパソコンでは出てきませんので、ひらがなで失礼します。「けい」は、病だれの中に契を書き、「しょう」は、病だれの中に「從」を書きます。ー前者は、筋脈が拘急して縮む意。後者は、筋脈が弛緩して伸びる意。手足が引きつけたり伸びたりする症状で、外感熱病、てんかん、破傷風などでよく見られるそうです。

③『素問』に曰く邪が太陰の絡に客し、人をして腰痛せしめれば、小腹を引き…―このような腰痛は、下髎(げりょう)に鍼を刺すべしとあるようです。下髎穴は、第四仙骨孔のことで、お尻の割れ目の近くです。王冰の注によれば「足の太陰・厥陰・少陽の三脈は左右より交わりてつながるとされています。馬元台は「公孫穴に繆刺(りゆうし)するとよい。」とある
ようです。

⑤赤白帯下―生理的な帯下は、透明あるいは乳白色で異臭はないが、病的なものは血液が混じって赤白帯下となるそうです。⑥大病が癒えて後、腰より以下に水気があるものは牡蠣沢瀉散(ぼれいたくしゃさん)がこれを主る也。もし癒えずんば、章門穴に灸するなり-『金匱要略』に、もろもろの水のある者、腰より以下の踵は、当に小便を利すべし。腰より以上の踵は、当に発汗すべし。」とあります。腰より上の踵とは、腰より上の症状に踵の穴を用いることではないでしょうか。大病の後のむくみについて銭天来はこう言っています。

「大病の後、もし気が虚せば即ち顔面みな浮となり、脾が虚せば即ち胸腹が張満するなり。これ、大病の後、下焦の気化が失常し、湿熱がうっ滞し、膀胱がそそがず、水性が下流するに因るが故に、但だ腰より以下に水気が滞積し、膝脛足附がみな腫れ重くなるなり。」とありまして、大病の後、気が虚すので身体のあちこちにむくみが見られるようです。来週に続きます。

「奇経八脈攷全釈」李時珍、編著、小林次郎、訳注、燎原書店、1991年

2018年2月16日 (金)

心の治癒力を研究する(74)「無我は難しくなく、静寂を楽しむ事」

 静寂と洞察の瞑想とは、何でしょう。私は難しくて分かりません。洞察の瞑想とは、瞑想の対象が何であれ、その真の性質をあるがままに体験することです。余分な思念や思いを捨てて、あるがままを理解することです。有るがままを理解する?そう。ですからそれは、言葉にもなりません。呼吸を意識しながら、それと一体になります。心と呼吸は、一体となっていて、認識の主体である自我は存在しません。無我です。そこに判断する私はなく、あるのは呼吸との一体感です。

瞑想を行っていると、色々なイメージや思考や感情、感覚、体験が生じるように思えます。すべてをただ生じては消えていくのにまかせます。執着(しゅうちゃく)しないで放置します。トゥルクさんはこう言います。思考の合間の静寂(せいじゃく)こそ、私たちの空なる本質であるといっています。思考が生じて来たなら、ただ放置しておけばよいようです。執着しないことが大事であるようです。

空とか空性とか、それに開かれるとは、どういうことでしょうか。難しいことは、私には分かりませんが、広い空間を(例えば広大な山脈など)を思い出し、胸を広げて空気を吸ったり吐いたりしている場面をイメージします。そのようなものであると想像します。またそのような場面にいる私の心の感覚が空性に開くではないでしょうか。いろいろな問題が生じるとき、空性の感覚になるように心を調整します。後は何もしなくていいのです。

広い空間を思い出すのです。後は余分なことは、必要ありません。私たちの本質は、普段は、心の生み出した幻影と感情の作り物によって、おおいかくされています。無我の悟りは、そのカーテンを引き上げるのです。要するに我執にねざしたカーテンです。それらも放置しておけば、自然に消えていきます。来週は、13章、信仰の癒しの瞑想に進みましょう。

「心の治癒力―チベット仏教の叡智)トゥルク・トンドゥップ、著、永沢哲、訳、地湧社、2000年

2018年2月15日 (木)

素問を読む(227)「痿とは、運動麻痺であるらしい。」

 381ページの痿論篇第四十四の後ろから4行目からです。その前に痿論(いろん)とは何でしょうか、「漢方医語辞典」(創元社、西山英雄)から見て行きましょう。痿(い)とは、運動麻痺で多く上肢の運動麻痺をいいます。現在の私の右半身のことです。でも私の麻痺は、運動麻痺と感覚麻痺と痙性麻痺が重なっていて、右半身全面にあります。痿とは、手萎(な)え痺れることです。私たちのような半身マヒもその部類です。

「岐伯が言います。肺は一番上にありますので、五臓の長官で心の蓋(ふた)であります。精神的に満足し得ないことがありますと、これを追求しようと思っても得られない時は、心の熱のために肺が熱せられて喘鳴を発し、肺葉が焦げる程になります。故に次のように言われています。

肺が熱して焦げる程になりますと、五臓が影響を受けて痿躄(いへき)を生じます。悲哀のために精神が激動しますと、心包絡が途切れます。心包絡が途切れますと、心の陽気が内部で激動して外に出られませんので心包の下から崩(くず)れて血が流れまして、小便に血が混じります。ですから『本病』に次のように書いてあります。経脈にからっぽのところができると、肌庳(きひ)となって、次いで脈痿(みゃくひ)となります。欲望が限りなく強く、しかも望みを達せられないのでやけくそになって女性ばかり追い回し、精力を消耗しますと、陰部の筋の集まりである宗筋がゆるんでしまいますので、筋痿(きんい)となって、かつ、自精します。(精が自然にもれることでしょうか。)

故に『下経』に次のように書かれています。筋痿は肝の異状がもとであります。それは房事過多が原因であることが多いです。長い間、湿気の多い所で水仕事をしたり、または住まいが湿地帯にありますと、肌肉に水が浸み込みまして、陽気が巡らずに肌肉が麻痺して肉痿となります。故に『下経』に次のように書いてあります。肉痿は湿地に起居することが原因です。長い距離を歩いて疲労困憊して、おまけに日に照らされてのどが渇きますと、、熱が内に入り込んで腎に宿ります。腎は水の臓ですから普通は熱を消しますが邪熱が強すぎますと負けて髄液ができなくなり、更に骨髄までも消滅して骨が枯れてしまいます。ですから足がガクガクして立っていられなくなります。これが骨痿(こつい)です。

「素問・新釈・小曽戸丈夫」たにぐち書店、平成18年

2018年2月14日 (水)

唯識入門講座で心を実践的に考える(41)

 今日は、158ページの〈唯識〉の理を教育に活かす、の副見出しから見ていきましょう。硬くややこしい話ですけれど、次のポイントを考えましょう。○正聞薫習(正しい教えを繰り返し聞く)、○縁起に故に無我なり。、○三輪清浄の無分別智。

この三つの教えを生活に適応して生かしていきましょう。特に子供の教育に必要なこととして、次の四つの事柄が上げられています。・人間は、関係的につながっているという認識、・生かされてある自分という認識、・親の行動生き方に学ぶ、・なりきり集中して行動する、…以上四つです。縁起のゆえの無我とか、生かされてある自分などは、「自分と他人は対立したものではなく、関係的につながっていることです。」人間の身体の中の細胞は、皆つながっていて、互いに依存しています。細胞たちより少し大きめな私達人間も本来同じようにできています。

正聞薫習とは、正しい教えを繰り返し聞くことで、深層に潜む可能力に栄養や肥料を与え、伸ばし、いつかその芽を咲かせることです。言葉による人格形成は、良いわるいにつけ強力です。現代の若者だけでなく成年や中高年も言葉の被害を受けていて、やがて行動でも問題が生じる方がいます。幼児の時から外界から心の深層にまで悪い行動を起こすような人格に変えられてしまったのです。これは事実であるように思われます。私たちは、行動や結果には、目をやりますが普段から蒔かれる種や水や養分をそれとなく見逃します。

それで私たちが皆つながっていること、生かされていることを家庭の内から教えます。そのために親は、「自分とは何か」という自問を抱いて生きる必要があります。親が子どもにとっての親であり、子どもによって生かされている態度を示すのなら、子どももそれとなく感じます。「人間同士は関係的にあるのだ」、「生かされてある自分なのだ」と。私は、脳出血で右半身の運動と感覚を失ってから、「自分の足が自分の足ではない」と気づきました。正直言えば、この横山先生の文章に接したからです。足によって生かされてある事実に気づきました。失った感覚や動きはもどりません。(つづく)

2018年2月13日 (火)

癒しの言葉を考察する

 この世界に満ちているものは、殺しであり、大量殺人です。何と、物騒であり、聞きたくもないことばです。私たちが普段、接するテレビ、スマホ、インターネットに流れる影像が刺激を楽しみ、その影響のことなどは考えようとしません。ですから、それは、異常な世界のことではなく、日常にありふれている心の傾向なのです。殺人事件をテレビやスマホで見る時、あなたの心も同一の地点に立っているのです。

 現代を去ること半世紀前、テレビができた頃、当時の影像内容は、比較的良い状況でした。のんびりしていました。ただ当時でもケネディー大統領の暗殺の事件が報じられていました。それが初めての日米間の中継放送となったようです。そこから十年ほど時代をさかのぼれば、長崎、広島の原爆投下や東京大空襲がありました。それらの空襲によって被害がどうであったかと言うことよりも、一人一人の人間が苦しめられた事実を思い浮かべたいです。それよりも前に、原爆や爆弾を作って、敵を壊滅したいと願った人々の心を思い浮かべます。その地点では、広島や長崎や東京に、また日本の各地に住んでいた人々は、比較的無事でした。

逆に戦況が日本に有利になっていたなら、アメリカの庶民の上に原爆が落ちていたかもしれません。すべては、起こったこと以前に心の中で考えたことがより重要です。これらを忘れる前に癒しと言うことがどういうことか考えてみましょう。聖書では、最初の人類であるアダムとイブの子供であるカインが弟であるアベルが神に好まれるをねたみ、殺します。このように伝説では、人類生誕当初から殺人が起こります。それだけでなく神が人々を反逆罪でまとめて滅ぼすのです。そのような傾向がなくなるのは、新約聖書のイエス・キリストが現れて、人間のとがを許すように活動し始めてからです。

しかし、西洋の文明や中近東の文明は、男の文明です、日本の為政者も男の文明の中で活躍しました。女性型に男性型が混じった理想的な文明の一つの形は、例えば浄土宗の法然さんや民間信仰のお天道様崇拝や江戸時代後期の浮世絵製作などに感じられます。話がよそへそれましたが、テーマは「癒しの言葉を考察する」でした。癒(いや)しも同じことで、癒す前の微かな心が湧きあがるところが大事であるように思います。心を癒しに備えた状態に常に持っていくようにしなければなりません。それを自然にできればいいのですが呼吸の中で癒しの言葉を思い浮かべます。

「いのちがとこしえに大切だ。」とか「多くの生きものや縁によって私は、生かされている。」とかです。これくらいで今日は終わります。

2018年2月12日 (月)

私の脳のしくみと機能(95)「ドパミンやセロトニンは快の情動を強める。』

 「快情動・不快情動による行動の変化」(126ページ)に進みます。喜びの表出や攻撃的行動といった、具体的な情動反応には、ドパミン、セロトニンなどの神経伝達物質が深く関わっています。喜びや幸福感などの情動反応の鍵を握るのは、側坐核であるようです。例えば、金銭を受け取る刺激では、側坐核が活性化します。側坐核は、大脳基底核の一部で、視床や尾状核の一部です。快情動と深いつながりがあります。

側坐核は、強化刺激によってドパミン放出を促進します。ドパミンには、シナプス可塑性に働く、すなわちシナプス結合を強化して、記憶・学習に関わる作用があります。情動と結びついて記憶することで、行動が強化されるようです。「酒が飲めるぜ」という歌がありますし、「饅頭怖い」という落語があります。それ以上にお金が受け取れる快刺激は、ドパミンをドバーlッと放出し快情動が生じます。

よくわからないけれど、ドパミン作動ニューロンは、中脳の腹側被蓋野から扁桃核、海馬、側坐核に投射します。側坐核のニューロンは大脳基底核の側腹部に投射して、行動強化の回路を形成しています。今度は、セロトニンという神経伝達物質です。情動の鍵は、扁桃核にあります。恐怖や怒りなどでは、しばしば不快情動の後に攻撃的な反応が起こります。例えばねこの行動です。敵に直面すると、毛を逆立て身体が弓なりとなって威嚇行動をとります。

場合によっては攻撃的行動をとります。この攻撃的行動を抑止しているのがセロトニンであることがわかっています。セロトニンがよく放出されるのが深い呼吸法であるといった本も出ています。(つづく)

「ぜんぶわかる脳の事典」坂井建雄、久光正、監修、成美堂出版、2011年

2018年2月11日 (日)

今そこにある関節の拘縮と筋肉の痙縮にどう対処するか?

 またまた、恒例の置きまりの「痙縮(けいしゅく)」についてですね。イエス、アイドゥーです。こんな英語風の書き方でよかったでしょうか?痙縮は、私にとって大問題です。これがあるために仕事すらできない、やりずらいのですから。拘縮もこれと似たような関節、筋肉の不調です。このような痙縮には、日々、悩まされています。痙縮が中枢性の病によるものなので、脳出血後に自覚できましたがそれ以前には、治療師であったにも関わらず、他人事に属するもので、それまでの中枢性疾患に侵された人々に謝りたいです。

痙縮は、難治です。「痙性麻痺」または、「痙縮」は、現代医学でも解決できていない問題で、私達脳卒中麻痺者は、未来の寝たきり患者に一番近く存在しています。それというのも痙縮の対応とリハビリが立ち遅れているからです。これが早急に対処できるのなら、寝たきり患者は大きく減り、死亡率も激減するはずです。医学は、超速の進歩をしているといわれますが、医学の各分野が並んで進歩しているわけではありません。様々な現況です。

消毒、滅菌などの分野では、進歩しています。その他、手術の方式なども進歩しているものがあります。でも脳卒中の予後のリハビリや目標など、果たしてそれをやっていれば、症状が楽になるのか、社会人として社会へ戻れるのかは、何ともいえません。脳の中の受傷の状態によります。すべての医学の分野が同じ歩みをしているわけではありません。残念ながら、脳卒中の後遺症のリハビリは、他の医療分野に比べて大きく後れをとっています。

痙縮によいとされたボツリヌス療法もあくまで補助の療法に過ぎません。それに身体障害者の級も与えてくれる医師によります。それが低い級である場合、1回、ボツリヌス注射を打つたびに、7万円の自己負担です。針を一刺しするたびに7万円です。それで筋肉がゆるむ期間は、3か月だそうです。また硬化してくる期間にリハビリを続けるのです。私の右半身の筋肉は硬化して動きも感覚もありません。これらすべては、脳の中心部の脳出血による損傷から来ているのです。

我々の東洋医学業界は、中枢性のものには触れないのが無難とされてきました。(つづく)

2018年2月10日 (土)

「奇経八脈攷(こう)」を考える(73)「帯脈など、経絡は、古の古人が創造と事実から築き上げた」

 今日は、265ページの本文、十六、帯脈為病(帯脈の病症)に入ります。「(1)秦越人<扁鵲>は『難経』においてこう言っている。帯脈に病変が発生したときには、腹部が張満するとともに、あたかも冷たい水の中に坐っているかのように腹部は冷えて溶溶とたよりなくなる(溶溶は、腰の動作が緩慢になることを形容している)。

『明堂』にはこう記載されている。帯脈穴は、袋の中に入れられた水がゆらゆらと揺れるように腰と腹部が弛緩してたよりなくなる症状、婦人の下腹部痛、裏急後重、ひきつけ、月経不調、赤白帯下等を主治する。刺鍼の深さは六分、灸の壮数は七壮とする。

張潔古(元素)はこう言っている。帯脈の病症は、足の太陰脾経が主治する。脾経の募穴である章門穴に灸を三壮すえるとよい。『素問』の『りょう刺論篇・第六十三」にはこう記載されている。邪気が足の太陰脾経の絡脈に侵入して、腰痛を引き起こしたときは、痛みが下腹部に及ぶばかりでなく、眇(びょう・本当は月篇・季肋の下方)にまで波及して引きつけるので、仰向けになって呼吸するのが不可能となる。(眇は、季肋の下方の柔らかい部分を指して言う。)

張仲景は『傷寒論』の「弁陰陽易差後労復病脈証弁治法・第十四」においてこう言っている。大病が治癒した後に、腰から下の部分に浮腫があるときには、牡蠣沢瀉散(ぼれいたくしゃさん)が主治する。もしこの処方でも浮腫が改善されなかったときには、章門穴に灸をすえるとよい。

王叔和は『脈経』においてこう言っている。帯脈に病変が発生したときには、臍腹と腰背部を左右からぐるりとめぐるような痛みが生じるばかりでなく、陰部に近い大腿の内側部にもその痛みが波及する。

王海蔵(好古)はこう言っている。小児の鼡径ヘルニアは、章門穴に灸を三壮すえれば、治癒するであろう。なぜなら、鼡径ヘルニアの症状は帯脈が循行する径路に沿って足の厥陰肝経が分布する領域を移動し、肝経の章門穴が、足の太陰脾経の募穴として、その領域内に病症を主治するからである。

またこう言っている。女性の月経に関連する病証で、「血朋(けつぽう)(出血多量のもの)が慢性化したために痩せ衰えてしまった場合には、収斂作用のある薬物(牡蠣や竜骨など)と、補益作用のある薬物を用いるとよい。「血閉(けつぺい)(閉経、不月、経停)が慢性化したために痩せ衰えてしまった場合には、補益作用のある薬物と、破血(頑固な瘀血を消散する)作用のある薬物を用いるとよい。

瘀血の治法には次の三つの治法がある。第一の治法は、四物湯に紅花を入れ、これに黄耆(おうぎ)と肉桂(にくけい)を適量配合する治法である。第二の治法は、四物湯に紅花を入れ、これにりょう鯉甲(りこう)(穿山甲)、桃仁、桂枝、童子小便を適量配合したものに酒を加えてから煎じて服用する治法である。第三の治法は、四物湯に紅花を入れ、これに易老(易水の張潔古老師)が処方された没薬散を適量配合する治法である。」

 帯脈は、男女の腰痛や婦人の月経に関する病などに必要とされています。確かにそれは、筋肉や血液の症状ですが、それらの症状がなぜ起きるかについて、李時珍は帯脈の病なのであると言っています。それによって、血朋や血閉などが起きます。帯脈は腰の回りをぐるりと囲んでいます。解剖図にもそのような影さえもありません。中国の古代医人が先験的な想像力と見えないものを見る超知覚で知り得たものです。

「奇経八脈攷(こう)全釈」李時珍、編著、小林次郎、訳注、燎原書店、1991年

  (つづく)

«心の治癒力を研究する(73)「呼吸を見つめることで、静寂と洞察を得る。」