2018年6月21日 (木)

自然治癒力は貧しきものに味方する。

自然が与えた治癒力に我々貧しい者は期待します。自然とは、神とも呼べるものです。我々の身体と心に治癒力があるはずです。そもそもそれがなければ人間は存在しません。消毒しなくとも野菜や果物や何でも食えます。

2018年6月20日 (水)

自然の滴り落ちる音を利用する。

今日は、梅雨の雨です。子どもの時から繰り返し聞いてきました。いいものです。したたり落ちる音は。昔の人々も聞いてきたのでしょう。白隠禅師が白幽仙人から教えていただいた「軟酥(なんそ)の法」というものがあります。なんそという薬が頭の上で溶けて全身を下り、細胞や臓腑や皮膚も癒し、良くしていくものです。酥(そ)という神薬が人の体熱で少しづつ溶けて頭の上から全身を流れ下るのです。それをイメージできれば効果が出るのです。しかし流れ下るのがイメージするのが難しいのです。軟酥は体熱で溶けるので温かいのがいいのですが、流れ下る様は梅雨の天下りでもいいのではないでしょうか。梅雨の雨を聞きながらそう思いました。

2018年6月19日 (火)

八十代で身まかれれば人生は完璧

八十代は、まだ若いと言うかも知れませんが、ここまで生きて来れれば素晴らしいです。おまけに仕事まででき、人さまに役立ち晩年を過ごすなんて、私のように脳出血の後遺症で泣き言を言っている者は反省そのものです。時間は過ぎていきます。自分ができないことではなくて、自分でもやれることを考えます。

2018年6月18日 (月)

見えない身体があるから私たちは生きられる。

地球に大気がなくて、空間がなければ、本来、私達は生きることができません。肉体だけだと解剖標本に過ぎません。見えない身体が肉体の回りにあって、あるいは、肉体に侵入して肉と霊が一体化しています。そうして人間が機能するのです。しかし見えない身体については、まじめに取り上げられず、空想の仮説となっています。それを東洋医学の治療学、診断学に取り入れれば少しは見えない身体を本気で考える人も出て来るかな。

2018年6月17日 (日)

人々や動物、生き物を大切にして心の自由を守ることが私たちのやるべきこと。

昨日見たBSの番組、ドキュメンタリー独裁者は、この世界で実際に起きたことなのに吐き気がする程の気味の悪さであった。時代は今もひき続いています。私達がのんびり構えていると、時代の流れに流されてしまいます。独裁者は、政治を握るから多くの人に不幸をもたらします。少数者であれば犯罪者に過ぎません。本当に人々を治め幸福を与える方は、人間ではおりません。人間であれば他の人や生き物たちを尊重して、彼らの心の自由と規律を守ります。お天道様は形を持ちませんし見えません。お天道様はいつでも見ています。

2018年6月16日 (土)

明(めい)とは、何を意味するものか?

明(めい)とは、何を意味するものでしょう。素問とか霊枢といった東洋医学の経典に出て来るらしいですが…。心の状態を言っているらしいのですが。字をそのまま考えれば「明るい」ことです。今日の照明電気のごとく、ただ明るいのとは違います。太陽の明るさのように光り輝く様とは少し違う感じです。私が思うに「得心(とくしん)」のような状態のはずです。「十分に承知すること。」と広辞苑にはあります。それが肚の奥まで及んでいること。それが明ではないでしょうか。それも現代文明の明ではなく、古代東洋の明なのです。FTも明が必要です。現代の言葉で言えば非日常的意識(ASC)です。

2018年6月15日 (金)

心が低下するとき

人間は山もあれば、谷もあります。下り坂の時、火野正平氏のごとく、それを楽しみます。いつも息んでいたりがんばったりしていたのでは、身体が持ちません。私が脳出血したのも、それによって体が休みたかったからかもしれません。頑張る時があれば、休んでぼーとする時も必要です。陰陽の平衡がとれていることが人間らしいです。

2018年6月14日 (木)

これといったテーマもなく3か月ブログを続けています。

ブログの管理ページに入れなくなり、ブログを打てなくなって1か月、3月15日くらいから再開するもテーマを決めないで小数語で勝負しています。あとどのくらいこの状態が続くのか分かりませんが生きている限り、続けたい所存です。短い文章の方が真理に近付く感じです。真理というか真如(しんにょ)というか、この世の真実に触れたいのです。そんな思いを持って私は生きています。

2018年6月13日 (水)

鍼灸の発見には、ハイやフローの体験が根底にあった

フロー体験とは、チクセントミハイという心理学者が発見した言葉で、心理学の理論を病的に使うのでなく能動的に使うものです。喜び、創造、生活への深い没入過程をひとことでいうとフローと言います。非日常的意識です。針や灸もフローから生まれました。その意味では、長く続いているシャーマニズムの医療と同じです。あの刃先が尖った金属の鍼に医療的な価値があるなんて誰が考えつくでしょうか?通常の意識ではできません。

2018年6月12日 (火)

非日常的意識でリハビリを行う

非日常的意識とは、何でしょうか。様々な日常的意識を離れ、心がハイになったり、ウキウキしたり、何だか真理に接している感じになり、日々を有効的に活用している感じです。呼吸法や丹田を意識してリハビリに打ち込める感じです。非日常的意識の状態でリハビリに歩めばあるいはリハビリにも効果が出るかもしれません。ハイになるからと言って危険ではありません。同じようなものに「フロー体験」があるかもしれません

«非日常的意識が脳の回復には役立つし、必要。